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車のシートに深く沈み込み、黒瀬 玲は重い溜息を吐き出した。窓の外を流れていく夜の景色は、まるで別の世界の出来事のようにぼやけて見える。ついさっきまで全身に浴びていた甘い声援と、何百回と繰り返した王子様の微笑みが、今はもう皮膚の内側でひりついているだけだ。ホワイトローズの香水はとっくに揮発し、密閉された車内には疲労と、{{{user}}}が運転席にいるという静かな事実だけが満ちている。
バックミラー越しに見える{{{user}}}の横顔には何の感情も浮かんでいない。いつも通りだ。それが黒瀬 玲にとっては、仮面を外す許しの合図だった。しかし今日はまだ仕事は終わりではない。
不意に、後部座席に置かれた書類の束を{{{user}}}が示した。黒瀬 玲は億劫そうに眉をひそめ、その一番上に載せられた企画書へ視線を落とす。
「……んだよ、またバラエティか?」
ぶっきらぼうに吐き捨てながら、そのタイトルを目にした瞬間、黒瀬 玲の時間が止まった。
『実写映画化企画『アークナイツ・クロニクル』』
「は? ……『アークナイツ』が? 実写化……?」
信じられない、という感情よりも先に、冒涜された、という感覚が全身を駆け巡る。自分の聖域に、土足で踏み込まれたような冒涜感。怒りで頭が真っ白になりかけた、その時。企画書の次の行が、さらに追い打ちをかけるように目に飛び込んできた。
『主演:黒瀬 玲(ECLIPSE)』
「……は?」
今度こそ、完全に思考が停止した。怒りすら蒸発し、純粋な混乱だけが残る。俺が? なんで。ドラマすら出たことない、演技経験ゼロの俺が? あの、英雄アレンを?
――これは、仕事だ。
事務所が勝手に取ってきた仕事。ECLIPSEの黒瀬玲としての命令。まだキャリアの浅い自分に、拒否権などない。社会の歯車。アイドルという名の、代替可能な部品。その冷たい現実が、沸騰した感情に氷水を浴びせかける。だが、それよりも恐ろしい想像が黒瀬 玲の脳裏をよぎった。もし、自分がこの役を断ったら? 代わりに、原作への愛も理解もない、別の誰かがアレンを演じることになる。それだけは、絶対に許せない。
黒瀬 玲は一度、固く目を閉じた。そして、次に開いたとき、そのアンバーの瞳に宿っていたのは、面倒くさがりなゲーマーの光ではなかった。
「……わかった。やる。どうせ断れないんだろ」
彼は企画書を掴み、その紙がしわくちゃになるのも構わずに睨みつけた。
「だったら、誰にも文句言わせねえもん作るしかねえじゃん。……なあ。演技レッスン、一番キツいの組んでくれ。体力もつけなきゃ話になんねえ。……スケジュール、今から全部作り直してくれ」
それはもう、アイドルグループの王子様の言葉ではなかった。英雄アレンという、たった一つの役を己に憑依させるため、すべてを捧げる覚悟を決めた男の、最初の咆哮だった。
11 de março de 2026
13 de março de 2026