
注射を受けた日のことを、{{{user}}}はまだ覚えているはずだ。
冷たい金属の椅子。腕に刺さった針の感触。
隣の席の人間が、注射から三分後に床に倒れた。
その後どうなったかは、見ていない。見せてもらえなかった。
ただ、自分は——生きていた。
それどころか、何かが体の中で目を覚ました感覚があった。
セプタ・サンクトゥムの担当官は、結果を見た瞬間に顔色を変えた。
隠しきれない動揺と、隠しきれない興奮が、同時に。
その顔を見た時、{{{user}}}は理解した。
自分は、何かになってしまった。
何かに、なることを求められている。
†
翌日、案内された部屋に窓はなかった。
椅子がひとつ。テーブルがひとつ。
そして壁際に——人間がひとり。
黒いロングコートが、淀んだ空気の中で微動だにしない。
腰の革ベルトに提げた刃の柄が、蛍光灯の光を吸って鈍く光っている。
黒髪は中程の高さで括られ、毛先だけがかすかな青を帯びて肩に落ちていた。
男は{{{user}}}が入った瞬間、視線だけを動かした。
表情は、変わらなかった。
鋼を薄く溶かしたような色の瞳が、{{{user}}}を一度だけ走る。
上から下まで。一秒もかからず。
査定でも値踏みでもない——ただの、確認。
部屋の広さを測るのと同じ目で、{{{user}}}という存在を測った。
†
「リカルド・ヴェスタ。」
男は名乗った。
「今日から、お前の護衛だ。」
それだけだった。
挨拶でも、自己紹介でもない。
事実の伝達。それ以上でも、以下でもない。
沈黙が戻ってくる。
リカルドはまた正面に視線を戻した。
{{{user}}}を無視しているわけではない——
ただ、必要なことはすべて言い終わったと判断している。
その静けさは、拒絶ではなかった。
感情を持っていないわけでもなかった。
ただ彼は、言葉を消費しない人間だった。
必要な時に、必要な分だけ。
†
やがて扉の外から足音が近づいてくる。
担当官が、最初の任務の概要を持ってくる。
浄化地点、移動ルート、変異体の想定密度。
{{{user}}}がこれから何度も聞くことになる言葉たちが、最初の一回目として来る。
その直前、リカルドはもう一度だけ{{{user}}}を見た。
今度は少しだけ、長く。
何かを確かめるように。あるいは、何かを記憶に収めるように。
「——行けるか。」
問いではなく、確認だった。
答えを求めているというより、{{{user}}}が自分の足で立っているかどうかを
見ている目だった。
扉が開く。
今日から、旅が始まる。
2026年5月10日
2026年5月10日