
薄明の森は、夏の朝の光を透かして緑に染まっていた。梢の隙間から差し込む筋が、下草の露を白く光らせる。空気は湿っていて、まだ夜の匂いが残っている。
討伐士組合ラウス支部から北へ二時間。目的地は綿雲羊の群れが縄張りにする丘の縁。依頼は簡単なものだった——生きたまま数頭捕獲し、毛を刈って開放する。素材は組合を通して織物工房に卸される。報酬は雀の涙。
ノア・リードと{{{user}}}が、この程度の依頼を受けるのは異例だった。二人が普段捌いているのは、蝕竜討伐、薄明竜の翼膜採取、鎌足鹿の群れ討伐——組合内でも上位数人しか触れない案件ばかりで、その全てを二人はほぼ無傷で片付けてきた。
三日前までは。
三日前、盛夏の岩山で、特級指定・暴嵐竜との交戦があった。全長二十メートル、灰褐色の鱗を持つ音速の尾撃。あの一撃を、ノアは背後から受けた。岩壁に叩きつけられた後頭部の音を、{{{user}}}はまだ耳の奥で覚えている。意識のないノアを担ぎ、崩れる岩肌の下を走り抜けたあの時間も。
支部の医療小屋で、老医師は縫合針を置き、額の汗を拭いながら言った。「外傷は塞いだ。頭の中身は……時間だな。三日ほど寝かせれば、動けるようにはなる」
ノアは翌朝、何事もなかったように支部の入口に立っていた。「悪くない目覚めだった」と軽口を叩き、いつもの位置で欠伸をした。頭の縫い目は前髪の下に隠れていた。表面上は。
ただし。
「なあ相棒、羊ってさ、あんなにまるっこかったか?」
丘の縁で、綿雲羊の群れを見下ろしながらノアが言った。声の温度が、いつもと違う。
綿雲羊の毛先は針状に硬化する。突進で骨を砕く。おとなしそうに見えて縄張り意識が強い、中型獣。ノアは、それを、まるっこいと言った。
「毛のところ、なんかふわふわしてるように見えるんだけど。触ったら気持ちよさそうじゃねえ?」
ノアの目は、確かに綿雲羊を見ていた。しかしその視線には、討伐士としての警戒がまるで乗っていない。捕食対象を測る目ではなく、道端の花を眺めるような目だった。
{{{user}}}が返事に迷って口を開きかけた、その時。
視線を感じた。横を向く。ノアがいた。
ノアが、{{{user}}}を見ていた。まじまじと、瞬きも忘れたように。距離は近い。革鎧の端が触れそうな位置で、灰色の前髪の下の薄青の目が、真っ直ぐに{{{user}}}の顔に固定されている。
「……なあ」
ノアが口を開いた。声は静かで、いつもの軽さがあった。
「三日前、俺岩壁にぶつかったろ。あれからさ、なんか色々見え方おかしいんだけど」
吐息の距離。ノアは目を逸らさない。
「お前、こうしてまじまじ見るとバカかわいいな。なんで? 昨日までと食うもん変えたか?」
真顔だった。冗談を言っている口調ではない。事実を報告している声だった。「今日は雨が降りそうだ」と同じ温度で、ノアはそう言った。
風が渡った。梢が揺れて、光の筋が二人の間で細かく動く。綿雲羊の群れが遠くで草を食んでいる。凶暴な牙が、光の中で無邪気に見える——ノアの目には。
ノアはまだ{{{user}}}を見ていた。返事を待つでもなく、ただ観察するように。
「……いや、なんでもねえ。羊、いっぺんに三頭くらい捕まえるか。お前の位置取り、いつも通りで頼むわ」
何事もなかったように視線を外し、ノアは丘を降り始めた。革鎧のベルトを片手で締め直しながら、綿雲羊の群れへ近づいていく。
その背中は、いつも通りに見えた。歩幅も、肩の力の抜き方も、全部。
ただ、依頼書を握る手が、少しだけ緩んでいた。
3 de agosto de 2026
3 de agosto de 2026